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2018.09.02 Sunday

福岡の夜景

20090723福岡の夜景1

20090723福岡の夜景2

鹿児島まで皆既日食を見に行った帰り、福岡でのんびり過ごしたのは、9年前の話。

23:55 | Fukuoka | - | - | |
2018.07.24 Tuesday

移動(復路)

福岡は気候の変化がダイナミック。
発つ直前まではこんな天気だったのに、
マリゾン駐車場マリゾンの砂浜
昼過ぎに天気が急変したらしく、凄まじい雨で博多駅は水浸しだったそうだ。
 同じ頃、同じく東京への移動組が福岡空港から飛行機に乗る予定だったのが、落雷により滑走路と誘導路が交差する路面が約40cm四方、深さ約10cmはがれていることが判明、16時半頃に滑走路が閉鎖されてしまった。一部の人は飛行機をキャンセルして新幹線に乗り換えたが、結局1時間後の17:40に滑走路閉鎖は解除されたとの事。振り回された人も空港の関係者も大変だ。

 東京に戻った翌日、近所のビルの看板が焼け落ちて騒ぎになり、上空ではヘリが複数機飛んでいた。暑さによる電気火災という噂だが、この暑さだと納得してしまう。ここ2日で人が救急搬送されているところも2回見かけたし、都会も暑い。しかし、日よけという点では都会には高いビルがあるのでとりあえず日陰もある。福岡は本当に日陰が少ないので日傘は必須。日傘は買って数年経つと紫外線防止効果もなくなってくるので、油断大敵。


 Winnie-the-Pooh 実写映画化のニュース。大人になったクリストファーロビンと久々の再会を果たしたプーさんが本物の熊になっていたらどうしようかと思ったが、ちゃんとぬいぐるみのプーさんだったので安心。

07:00 | Fukuoka | - | - | |
2018.07.20 Friday

移動(往路)

福岡中央郵便局の隣のスタバ
本州だけでなく、九州も暑い。
鷹の祭典
天神地下街は相変わらずの活気。
都市高速
福岡の空は本当に広い。市街地から空港が近いので、高い建物がないからである。
すなわち、許可なくドローンが飛ばせる場所もかなり少ない。飛行機の進入表面に含まれるので、志賀島も、相の島ですらアウト。高度によるけど。
福岡サンパレス
福岡サンパレス。近隣に2500席ほどの新しいホールが完成したら解体されるという話を聞いた。ウォーターフロント地区再整備構想によるものだが、「航空法による高さ制限が特区によって緩和された為、高さ100メートルのビルを建てれるようになっており、風景が一変する可能性が高くなっています。」とあるので、高さ制限にも例外はあったのだな。

20:30 | Fukuoka | - | - | |
2018.05.31 Thursday

猪野銅山

チャン・ダイ・クアン国家主席夫妻来日
今日の永田町には日越の国旗が。昨日、ベトナムのチャン・ダイ・クアン国家主席夫妻が国賓として宮中晩餐会に招かれたそうだ。

さて、本題。福岡の粕屋郡久山町にある伊野天照皇大神宮は、大自然の中にひっそりと佇む、九州の伊勢とも言われる由緒正しい神社。付近は清流が清々しい音を奏で、この時期になると蛍が見られる場所もある(正確に書くと、あった。最近は知らない)。場所は猪野にあるのに伊野の字が社号になっているのは、伊勢の伊から取ったのだろうか。

猪野は、かつての糟屋郡山田村、現在の久山町に位置する。ここにはかつて銅山があったらしい。しかしながら、資料が極めて少なく、その全貌が見えてこない。かろうじて見つけた文献「明治工業史 鉱業編」(昭和5年8月30日 日本工学会啓明会)によると、
銅剣、銅鉾、鎔範および銅の滴粒等は、古来多く筑前、筑後地方より出土したるが故に、世に筑紫鉾の稱あり。其の他、豊前、豊後、安芸、讃岐等の十四箇国に亙りて、古墳より発見せられたるものまた同性質たり。その種類別に関する高橋健自の研究によれば、銅鉾に廣鉾、狭鉾の二種あり。銅剣にクリス形廣鉾・クリス形狭鉾・平形細形及び鉄剣・小銅剣の五種あり。又、鎔範の古来出土せるものは、廣鉾・銅鉾・鎔範十箇及びクリス形廣鉾・銅剣・鎔範四箇にして、何れも筑前筑紫郡・糸島郡及び遠賀郡に於いて発見せられ、材料は砂又は土に非ずして石を以て作らるると謂ふ。其の鋳口には焦げたる跡あり。又、往々銅滓の附著したるものあるより推測すれば、蓋し其の地方に於いて銅剣鉾の鋳造に用ひられたるものなるべし。且、中山平次郎が筑前糸島郡潤字土師の遺跡に於いて銅の滴粒を発見したるより察すれば、既に先史時代に於いて銅を以て剣鉾を鋳造したるや其の疑ひ無きが如し。而して其の原料たる銅は、此の地方に産出せしや、将又、支那より輸入せしやは、随って起こる問題なり。産地としては筑前に糟屋郡猪野銅山地方あり。筑後八女郡高良山の南麓に横山村の産銅地あり。故に此等地方の銅鉱脈露頭部より、自然銅を採取して鋳造の原料に供したりとも考へられざるに非ざれども、銅剣の成分たる錫に至りては、近国薩摩の谷山・豊後大野郡・日向の見立等の産地あるも、何れも深山中に在りて、原始時代早く発見せられたりとも思はざれば、畢竟、銅と共に剣鉾鋳造の地金として、支那より船載せられたるものなるべし。」
…と、あくまでも銅の産地があるという記述だけだ。
一方、筑豊産炭地と「友子」には、糟屋郡山田村猪野銅山には石見出身の友子(友子とは炭鉱労働者の共済組織のこと)が多いという記述があり、それまでの経緯などは興味深いところである。

20:00 | Fukuoka | - | - | |
2018.04.16 Monday

500 TYPE EVA Cafe

博多駅新幹線改札内にあるエヴァカフェの営業終了日が2018年5月31日(木)に決まったらしい。
2015年11月7日から運行していた 500 TYPE EVAが2018年5月13日(日)にラストランを迎えるためである。閉店後は元のカフェ・エスタシオンに戻るそうだが、元々のメニューがどのようなものだったかをすっかり忘れてしまった。

コアをイメージしたケーキ、トッピングはオリジナルマカロン、福岡県産あまおう苺を使用したスイーツプレート。…そう言えば、こないだ注文した時に特製コースターはもらえなかったぞ。お店の人が対象者を絞ってたんだろうか 笑。

23:55 | Fukuoka | - | - | |
2018.03.27 Tuesday

20時間

富士山
夜遅く報せを聴いて、翌朝、取るものも取りあえず新幹線に飛び乗った。
こういう日に限って、車窓から見える、蒼昊に見守られた風景があまりにも美しい。

琵琶橋公園の桜
覚悟はしていた事だけど、とても悲しい、たった20時間の滞在だった。
それでも、かつて一緒に遊んだ懐かしい場所はひと通り訪れることができた。

琵琶橋公園
さすがに泳ぎはしなかったけど、ここでよく遊んだっけ。

筥崎宮大鳥居解体開始
筥崎宮大鳥居の前も通ることができたが、折しも昨日から解体作業がスタートしたらしく、全てが覆われて見えなくなってしまっていた。
国道から見るとカメラの視野に入りきれないほどの高さだった事が改めて分かった。

今回の滞在の締めくくりは、図らずも500 TYPE EVA Cafe になってしまった。ここも期間限定カフェで、平成30年春までの営業との事だ。
そう言えば先ほどお坊さんがお経で、生あるものは必ず滅し、形ある物は必ず壊れる。愛があれば必ず別れがある…と読まれていたな。

23:55 | Fukuoka | - | - | |
2018.03.18 Sunday

筥崎宮と名島橋

筥崎宮の大鳥居が解体されるらしい。

国道3号線を北九州方面に進むと右手に見えるこの大鳥居は、幅が約14メートル、高さが16メートルもあり偉容を誇っている。1930(昭和5)年に建てられてから88年、福岡市東区のランドマーク的な存在であり続けた。
毎年9月の放生会にはここから露店がずらりと並び、夏至の頃には太陽と大鳥居と本殿が一直線になるため、参道に"光の道"が現れる。
扁額に書かれた「八幡宮」は当時の松本学知事の揮毫による。松本氏は福岡県知事時代、九州にワイン栽培業を普及させたり、博多織のしっかりとして光沢があり長持ちする特徴を生かしてネクタイを作ることを提案するなど、多くの功績を残している。国会図書館の県政資料室にも多くの松本家文書が存在するほどの人物である。大鳥居のために寄進した、当時の県議会議長・林田春次郎氏もやはり多方面で活躍しており興味深い人物だ。
この鳥居に関する逸話や思い出は尽きないが、老朽化でモルタルが剥がれ落ちそうになっていたり、所々ひび割れしている箇所もあるので、安全確保のため解体が決定したようだ。
再建には5億の費用が見込まれる。もう復活する予定はないとの事、多くの人に惜しまれている。

寂しくなるニュースがある一方、喜ばしいニュースもある。筥崎宮を通り過ぎ、国道3号線をさらに北九州方面に進むとさしかかる名島橋が、国有形文化財に登録されるという。全長204メートル、幅25メートル、7つのアーチから成る鉄筋コンクリート製のこの橋、親柱にある花崗岩の半球なども含め、優美な装飾が評価されたらしい。
名島は今でこそそれほど有名な場所とは言えないが、戦前は水上飛行場があり、大阪や上海への定期便が就航する要所だった。1931(昭和6)年にはリンドバーグも飛来した。そして名島橋は、戦時中に飛行場が攻撃された時に滑走路代わりに使用される予定だったとか、戦車が通れる橋として構想されていたとか、空襲を避けるため黒く塗装されていた時代もあったとか、様々な逸話がある。
そんな重厚な歴史をもつ立派な名島橋だが、12月頃になるとなぜかサンタのコスプレもさせられてしまうお茶目な橋でもある。

00:00 | Fukuoka | - | - | |
2018.02.12 Monday

「九州演劇」昭和21年7・8月号(その2)

前回の記事で述べたとおり、七代目市川團十郎が博多に来演したのは、1834年(天保5年10月)である。博多の老若男女が江戸大歌舞伎を初めて迎えたのがおそらくこの時であり、時代は岩崎弥太郎や福沢諭吉が生まれる数ヵ月前という頃だ。
薩摩には "爺さん婆さんなご生きやい、米も安なろ世もよかろ、辯天芝居がまたござる…" という民謡があるくらいで、九州の果てでは千両芝居といった歌舞伎を見ることが当時非常に稀なことであったと、佐々木滋寛(ささきじかん)氏(1899-1976 千代町松源寺重職・民俗学研究家)は述べている。

やがて明治時代に入り、交通機関が発達し劇場も新しくなった頃、博多では二代目市川左團次が人気を誇っていた。
彼は1911(明治44)年8月、32歳の時に初めて博多にやってきた。劇場は当時新築後間もなかった東公園の千代の松原の中にあった博多座。(余談だが、この劇場は当時客足が芳しくなく、戦後は占領軍のキャバレーとして復活したという。)
1906(明治39)年9月に二代目左團次を襲名、その3カ月後にフランス、イタリア、ドイツ、イギリス、アメリカを経て翌年帰国した。西欧演劇界で得た新しい知識を日本でも取り入れようとしたが、なかなか受け入れられなかった。しかし松居松葉、山崎紫紅、岡本綺堂などの新戯曲を上演、1909(明治42)年11月には「自由劇場」を旗揚げ、イプセン作 森鴎外訳『ボルクマン』を上演するなど、西洋近代劇の紹介に先鞭をつけた。その後も矢継ぎ早に上演、まさに油の乗った時期に一門を引き連れて博多に乗り込み、新歌舞伎の批判を博多の人々に問うたのである。

博多座では『仮名手本忠臣蔵』の中幕として岡本綺堂『修善寺物語』が演じられた。彼が自分の本領を世に問う野心の狂言だった。
1912(明治45)年7月、彼の一座は再び博多座を訪れた。演目は序幕『だんまり』前狂言『夜討曾我狩場曙』中狂言『引窓』切狂言『慶安太平記』の通しだったが、前回よりはあまり成功しなかった。因みに、この時出演記念として博多座に納めてあった大額には当時の劇場構成員の細目が記されており、佐々木滋寛氏が早稲田演劇博物館に寄贈したという。地方劇場研究の貴重な資料である。これまた余談だが、博多座は当時松原の中にあり、夏は蚊が非常に多く、忠臣蔵で切腹した判官が蚊に刺されて困っていたとの事。

1912(大正元)年、新劇団の地方出演としては破天荒な「自由劇場」の博多上演が行われた。劇場は東中州の明治座で、左團次は長田秀雄『歓楽の鬼』の遠藤博士、山崎紫紅『底倉の湯』の新田義隆、ストリンドべリ作 小山内薫訳『犠牲』の父デュランを演じた。この上演は急遽決定したので衣装や小道具類の手配がとても間に合わなかったにも関わらず、一座の熱演と新劇への期待で大成功を収めた。スウェーデンの巨匠ストリンドベリの名作『犠牲』が博多の人々にどれほどの大きな衝撃を与えたのか。左團次の燃えるような熱意と、博多人の新しいものを受け容れる精神が、地方における新劇の啓蒙に大きく寄与したことは言うまでもない。

その後も左團次は博多を何度も訪れ、その度に新しい歌舞伎をもたらした。
1932(昭和7)年3月に『鳴神』と『皿屋敷』、1936(昭和11)年に『修善寺物語』と『鳥辺山心中』、1938(昭和13)年には『名君行状記』『箱根仇討』などを演じた。とくに『名君行状記』の池田輝政は「阪東壽三の青地善左衛門を向こうに回して息もつかせぬ面白さであった」と佐々木滋寛氏は述懐している。
1938(昭和13)年6月には『先代萩』『慶安太平記』『尾上伊太八』などを出した。
1939(昭和14)年6月に『大杯』『西山物語』などを出したのが博多における左團次の最後の来演となった。この時は水虫に悩まされ活気に乏しかったようだ。翌1940(昭和15)年、61歳でこの世を去るまでに、あらゆる困難を克服して自由劇場を開演、地方劇壇に新しい時代感覚を伝えたことは、彼が1928(昭和3)年、ソ連(ロシア)にて史上初の歌舞伎海外公演を行った功績とともに忘れてはならない。


上記記事の引用元「市川左團次と博多」には旧字や歴史的仮名遣いが多く、文章を読んでまとめるのには結構苦労した。ただ、ネット検索すると東京の歌舞伎の歴史は情報が比較的多く出てくるが、昔の博多の歌舞伎事情などなかなか出てこないので、今回は目から鱗が落ちる思いだった。あと、昔の人って偉大。

23:55 | Fukuoka | - | - | |
2018.01.22 Monday

「九州演劇」昭和21年7・8月号(その1)

九州演劇昭和21年表紙
九州演劇昭和21年
九州演劇昭和21年
九州演劇 昭和21年7・8月号

変色した紙、錆びた綴じ具、炭鉱復興歌詞募集の記事などが時代を感じさせる。
この中に、佐々木滋寛氏による「市川左團次と博多」なる記事を発見。

本格的な江戸の歌舞伎が博多に渡って来たのは、天保5年7月、七代目市川團十郎(当時は既に海老蔵を襲名していた)が、
中山新九郎、嵐三右衛門、浅尾奥山などを引き連れて来演したのが最初

とある。
記事では、市川左團次のその後の活躍、当時の博多の演劇界の様子からスウェーデンの作家ストリンドベリに至るまでが語られている。これについては稿を改めたい。

直系の祖先の一人が映画の助監をやっていた。
関東大震災と太平洋戦争に巻き込まれ、かろうじて生き延びるも、終戦後まもなく若くして志半ばで亡くなった。そんな彼がこの世で最後に読んだ本が、この「九州演劇」昭和21年7・8月号である。病床日記に記されていた事実だ。

この九州演劇を読んでからというもの、戦争で被災する夢を二日連続で見てしまった。彼は戦争で壊滅的な被害を受けた数日間の様子も書き遺しているのだが、その描写そのままのリアルな光景が夢に出てくるのは何度目だろうか。
そんなこんなで夜は眠れず疲れが取れない上に休日もなく、今日は大雪!呼吸も苦しいし少し熱もあるのだが、これは祖先たちが腰の重い子孫に、早く論文の続きを仕上げろ!と訴えかけているのだろうか。きっとそうに違いない。

2018年1月22日の雪
これ、コーンです。

2018年1月22日の雪
高田馬場駅入場制限

2018年1月22日の雪
バス停は長蛇の列

23:55 | Fukuoka | - | - | |
2017.08.26 Saturday

夏の終わりに

この夏を締めくくる演奏会の前日、懐かしい箱崎に立ち寄った。こんな色の空は久々に見る。
筥崎宮の夕方の風景

筥崎宮の近くにある県立図書館には、学生時代よく通ったものだ。
バイトに行く前に実験レポートを書く目的だったが、いざ館内に入ると面白そうな小説やら、絶版図書など蔵書の誘惑にかられ、レポートは結局バイトが終わって帰宅して夜中に書いたっけ。

この箱崎宮周辺には、昔は屋台がもっとたくさんあった。
今も「花山」は健在で、九大のキャンパスが移転してからも賑わっている。
いつ行ってみても、大将は必ずすべてのお客さんと一度は会話している。
どこかのWebサイトに「福岡に転勤したビジネスマンは、まず花山を訪れるべし」と書いてあった意味が何となく分かるような気がする。
箱崎 花山
箱崎 花山の焼き鳥箱崎 花山のラーメン

演奏会が終わったあと、これまた久々に天神を散策。
昔はこんな風景じゃなかったよなあ。
キャナルシティ

00:00 | Fukuoka | - | - | |

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