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2018.03.07 Wednesday

Duo Ravel

ラヴェル生誕143年の今日は、オランダのハープデュオによる『鏡』で祝う (風邪で熱が下がらずヘロヘロだが…)

モンフォール=ラモリでハープ演奏というシチュエーションがうらやまし過ぎる!
Ravel Harp Duo Mirroir

『鏡』をハープ用に編曲する人がこの世界にいたなんて!と思ったが、考えてみれば『洋上の小舟』の楽譜には"ハープのように" という指示がちゃんとある。確かにピアノ版の左手部分はいかにもハープのアルペジオだ。
69,71,73小節目はグリサンドにアレンジされるなどハープらしさも前面に出しながら、81小節目以降の非常に美しい部分はピアノ譜になるべく忠実に再現され、メリハリが効いてて良い。この勢いで『La Valse』や『Gaspard de la Nuit』もハープデュオ譜にアレンジして欲しいものだ。ラヴァルスの譜面があったら絶対弾く。


折しも今日、「ドイツの帆船からインド洋上で1886年6月12日、海に投入された海流瓶が、西オーストラリア州パースの北へ180キロの海岸沖にあるウェッジ島の砂浜で回収された」というニュースを見たばかり。『洋上の小舟』が描くような壮大な旅をしてきた海流瓶も興味深い。

19:00 | Maurice Ravel | - | - | |
2016.02.18 Thursday

L'enfant et les sortilèges 雑感

2013年8月に長野まで見に行きたかったのに行けなかった、サイトウ・キネン・フェスティバル 松本での、小澤征爾『子供と魔法』が、2016年グラミー賞で最優秀オペラ・レコーディング賞を受賞して話題になっている。受賞から数日経っているのに、ニュースや新聞などでは今日も小澤征爾さんは引っ張りだこで忙しそうだ。80歳にして8度目のノミネートで初受賞という点にスポットが当てられているが、もっと作品そのものについても取り上げて欲しいところである。

あの時、無理してでも松本まで見に行っておけば良かった!と思うとちょっと悔しいけど、昨年末からどん底気分で過ごしてきた中で迎えた誕生日の朝一に目にしたニュースがこれだったので、何だか幸先良いスタートを迎えられたようで晴れやかな気分。ラヴェル好きに与えられたプレゼントだと思いたい。

『子供と魔法』は『マ・メール・ロワ』と並んで、ラヴェルの子供への温かいまなざしが伝わってくるような、それでいてなぜか早川雪舟の名が出てきたり意味不明っぽい遊び心もある楽しいオペラにも関わらず、これまではあまり知られていなかったようにも感じていたが、今回の受賞でDVDも売れているらしいし認知度も高まって公演機会も増えてくれたら非常に嬉しい。
一昨年の11月に私が参加した、チャイコのマンフレッド交響曲で指揮をしておられたA先生が、次の春に『子供と魔法』日本語での公演を振るというお話を打ち上げの席でして下さったので、発売日に速攻でチケットを取って聴きに行ったのは昨年の3月。三鷹で開催されたその公演は、主役がとても可愛らしく活き活きとしていて印象深かったし、趣向が凝らしてあって見応えもあった。最後にママ役が出て来た時はうるうるしてしまった。終演後に出演者が全員ロビーでお見送りというのも、登場人物が多いだけに壮観だった。"ラヴェルが食べたかもしれない?"フランスの老舗によるクッキーや、A4の書類がきれいに収まる"子供と魔法トートバッグ" も販売されていたが、買っておいて本当に良かったと思う。

来年はラヴェル没後80年なので、演奏会では『子供と魔法』のどれかの曲をやりたい…と思う(けど、ハープでいったい何をやればいいんだ?)いろいろと楽しみである。

03:00 | Maurice Ravel | - | - | |
2015.03.07 Saturday

Bon anniversaire!

Maurice Ravel est né le 7 mars 1875.
C'est-à-dire, c'est fête du 140ème anniversaire.
Son père, Joseph Ravel était un ingénieur renommé qui travailla pour la construction de lignes de chemin de fer. Sa mère, Marie Delouart-Ravel était basque, descendante d'une vieille famille espagnole. Il eut un frère cadet, Édouard Ravel avec lequel il eut toute sa vie de forts liens affectifs. Édouard devient lui aussi ingénieur et s'associe à son père dans bon nombre d'entreprises. Sur son frère aîné, Maurice, Stravinski comparait sa méticulosité en le qualifiant d'« horloger suisse ».


Il y a 100 ans, la Première Guerre mondiale surprit Maurice en pleine composition de son Trio en la mineur qui fut finalement créé en 1915. Il réussit à se faire engager en mars 1916 comme conducteur d'un camion militaire qu'il avait surnommé Adélaïde et avec lequel il eut un accident près de Verdun.


2009.03.07 Saturday

Bon anniversaire!

7 Mars 2009 - aujourd’hui c'est l'anniversaire de Ravel.
Joyeux anniversaire !

00:00 | Maurice Ravel | - | - | |
2008.03.07 Friday

ラヴェル生誕133年

今日はラヴェル生誕133年目の日。コアなラヴェルファンの中には、今日一日、ひたすらラヴェルばかりを聴くという人もいらっしゃるかもしれません。

電話魔だったラヴェルは、決して自分からは電話を切らず、相手が話したいだけ話させておくというスタイルを通していたそうです。忙しいはずなのに寛大な。
133年前には、今日のようなメールやらインターネットで世界中が繋がっている状況など誰も想像していなかったと思いますが、時代は変化して、今や、メールに代わる伝達手段もかなり切実に望まれているように思えます。

電子メールはもう古い、メールの9割はスパムで、世界的に多大な損失を与えている。また、Intelなどの企業では、メール対応で生産性が落ちることを考慮して、金曜日はメール禁止DAYにしよう、などという運動も起こっているようですが、そう簡単には解決しないことでしょう。

もしラヴェルがいま生きていたら、果たしてメール魔になっていたかどうか。そして、やはりメールのやりとりをするうえで、決して自分からはレスを止めなかったのかどうかも謎です。ただ、メールでヘタなことを書いて送ろうものなら、お洒落な(あるいはブラックな)皮肉たっぷりの言い回しで返信してきたりしそうな気も…。

00:00 | Maurice Ravel | - | - | |
2005.11.05 Saturday

ラヴェルについて

小柄で華奢、陽気、きちんとひげを剃ったやつれ顔。長いわし鼻。少し赤みがかった顔。
活発に動くきらきらした瞳。人を食ったような笑みをたくわえた薄い唇。後ろになでつけられた白髪まじりの髪。
これが、ラヴェルという人物の外観である。

時おり彼は[無愛想で冷淡]などと評されることがあった。
おそらくこれは、彼が完璧主義で几帳面で丹念であるという側面によるものであろう。
弟は兄について、こう語っている。「兄の才能は、丹念であるということだ」

「ラヴェルの並外れた愛情を感じ取ったのは、ほんのわずかな人だけだったよ」と、後に友人は打ち明けている。

00:00 | Maurice Ravel | - | - | |
2005.11.04 Friday

ラヴェルの略歴

1875年3月7日、シブール(スペインに近いバスク地方の漁村)に生まれる。
1889年、パリ音楽院の予科(ピアノ)に入学。そこでは、シャルル・ドゥ・べリオ、フォーレらの弟子だった。
いくつものコンクールがあったにもかかわらず、彼はローマ賞の第2位に甘んじる。
ふだんはパリで生活していたが、その後、第一次世界大戦に志願。
1921年、パリ郊外のモンフォール・ラモリに居を構え、ヨーロッパやアメリカを旅する。
1933年、脳の病気の初期症状があらわれ、1937年12月28日、パリにて永眠。

【参考資料】
ラヴェル記念館公式サイト
http://www.ville-montfort-l-amaury.fr/fr_set/fr_ravel.htm

00:00 | Maurice Ravel | - | - | |
2005.11.03 Thursday

ラヴェルのピアノの腕前

ラヴェルは「作曲家」としてよく知られているが、演奏旅行などの際は、自らピアノを弾いたり、時にはオーケストラを指揮したりもした。
ピアノの腕前もなかなかだったが、実際には、自作の演奏は、パリ音楽院時代の友人リカルド・ヴィニェスやマルグリット・ロンらに任せることが多かった。なぜなら、単にラヴェルがシャイな性格だったから…らしい。

ラヴェルは幼少の頃、あまり練習熱心ではなかったらしい。あまりにも練習をしないので、ラヴェルの母が「1時間練習したら、6スーあげよう」(6スーというのは、当時の家政婦の時給に相当する)と言って、ようやく練習するようになったという話も残っている。

00:00 | Maurice Ravel | - | - | |
2005.11.02 Wednesday

ラヴェルの反骨精神

1900年から1905年、4回にわたってローマ大賞に応募するも、学校当局の保守的な姿勢などから、最後には予選拒否までされるという、センセーショナルな事態に発展した。これが「ラヴェル事件」である。

後年、フランス政府から「レジオン・ドヌール勲章」が与えられることが決まるが、それを辞退したのも、このような不信感から来るものだったようだ。

また、1901年《水の戯れ》が作曲されたが、これに対してある新聞記者が、ドビュッシーの《版画》(1903)を引き合いに出して批評したことがあった。
これに対して、ラヴェルは激怒した。「私が《水の戯れ》を書いた時点で、ドビュッシーはピアノ作品を3曲しか書いていなかった!」と。
ラヴェルは《水の戯れ》で、リスト的なピアノを継承、現代的な書法を確立したかったことから、この激怒は当然だったと言えよう。

00:00 | Maurice Ravel | - | - | |
2005.11.01 Tuesday

ラヴェルの手

ラヴェル自身は、確かに達者なピアニストではあったが、華麗なる超絶技巧を披露するようなピアニストというわけではなかった。
いつもピアノに向かって、とても低い位置に座った。そのせいか、彼のピアノ作品には、オクターヴ奏法を用いた部分がない。
また、若い頃から手も固かった。
何より特徴的だったのは、ラヴェルの親指である。
なんと、人差し指と同じくらいの長さがあり、驚くほど自由自在に動くため、友人たちの間では、密かに「絞殺者の親指」とまで言われていたらしい。
弟子もこのように語っている。「親指が手の下に潜り込むようにして、メロディやアクセントの部分を奏し、他の指はその"伴奏"をしているようだった」と。

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