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2018.05.07 Monday

西神コバルトスカイ

神戸のナガサワ文具店で入手した西神コバルトスカイをカスタム67に入れて、曹操の詩を書いてみた。
カスタム67と西神コバルトスカイ
…一文字間違えた(笑) 曹操さん、すみません。

21:30 | Le Stylo | - | - | |
2017.10.13 Friday

キノコと羆とカスタム67

今日は午前中に仕事を終え、午後から札幌に旅立つという方と、少しだけ会話をした。
現地のカラマツ林に群生している、落葉(らくよう)キノコという、たいへん美味なキノコを採りに行くのだそうだ。
キノコ群生地にはヒグマも来るので、爆竹を鳴らしてから林に入るが、一度だけ50メートル先にヒグマの姿が見えた時は無我夢中で爆竹を鳴らしながら生きた心地がしなかったとか、 10℃くらいでは寒いとは思わないが、さすがに−20℃の時は身体が痛かった、などなど
寒い地域ならではの話はとても新鮮だった。

ヒグマと聞いて最初に思い浮かんだのは、吉村昭の「羆嵐」。
「羆嵐」は、1915(大正4)年12月に実際に起きた三毛別羆事件をもとにした小説で、これが身の毛もよだつ恐ろしい話だ。
山で熊に遭遇したら、死んだふりをすれば良い…なんて話がいかにとんでもないかが分かる。

事件そのものは実に痛ましい、やりきれないものであるが、「羆嵐」に登場する孤高の熊撃ちである銀四郎は神懸かっている。
他のどの吉村作品も、淡々とした筆致なのに登場人物が妙に魅力的なところや、緻密な歴史考証、膨大な資料と取材の裏打ち…

落葉キノコの話を聞いただけなのに、私淑してやまない吉村昭氏が執筆に使用していたのと同型のパイロット・カスタム67を以前買ってしまったものの、少し畏れ多くてペンケースにしまい込んだままだったことを思い出した、有意義な朝だった。

23:55 | Le Stylo | - | - | |
2013.10.01 Tuesday

万年筆覚え書き[2]

前回書いた、万年筆覚え書き[1] http://blog.harp.tv/?eid=1155912から、はや1年近い時間が経ってしまった。
重光葵が1945年、ミズーリ艦上で首席全権として降伏文書にサインした際に使用した万年筆の話題。
これまで、私見では "重光葵は秘書官からボロっちいインクも出ないような万年筆を借りて署名した" という説を支持していた。
ところが、いろいろ調べてみると、少し考えが変わってきてしまった。やはり彼は、自分の万年筆で署名したのではないか?と。

考えが変わったのは以下のとおり、国会図書館で関連資料を閲覧してからである。

国会図書館の憲政資料室にて "重光葵が降伏文書調印時に使用した万年筆についての新聞記事(1987/7/8)の内容に関する重光蔵の反論メモ、余白に「伊串」が外務省に事実を照会した際の追記(1997/2/6) "
という資料を閲覧した。重光蔵(しげみつおさむ)氏 (1904.5.31-1988.9.2)は重光葵の弟にあたり、中国(清朝)上海に設立された日本人のための高等教育機関である東亜同文書院で教授だった人物である。
この資料は、大分合同新聞 1987(昭和62)年7月8日号夕刊9面の記事のコピーに、重光蔵氏の手書きで書き込みをしたものと、別紙に書かれた手書き文章である。

発端となった大分合同新聞の記事はこうである。
"歴史の1ページ記した秘書官の安物ペン" という見出しで始まり、「日本の夏」というドラマで重光葵の役を演ずる小林桂樹や降伏文書調印の万年筆を保存していたという竹光秀正さん、重光葵元外相の計3枚の写真がついた記事。
===
昭和20年、当時の重光葵外相が日本政府代表として東京湾上のミズーリ号艦上で降伏文書に調印した際に使用したのは、実は秘書官が使っていた安物の万年筆で、それが1987年8月14日放送のフジテレビ系ドラマ「日本の夏」で、小林桂樹がふんする重光外相が署名するシーンで42年ぶりに日の目を見る。
この元秘書官は大分県信用農協連会長の竹光秀正さん。昭和20年5月の東京大空襲で家を焼かれ、家族を日光に疎開させていた重光外相と東京・日比谷の帝国ホテルに住んでいたという。
竹光さんによると、調印が行われた1945年9月2日、ホテルを出発した車の中で重光外相が竹光さんに聞いた。

 「ペンはあるか」

 「ありますけど、いいペンではありませんよ。インクが十分出ないんです」

と答えると、

 「それでサインする。向こう(連合軍)のものなんか使えるか」

と言って受け取ったという。

戦後、重光外相が極東国際軍事裁判で禁固7年の判決が出たのを見届けた竹光さんは「わが任務は終わった」と、この万年筆を持って外相と同じ大分県のふるさとに帰った。
「今から思えば記念の万年筆。当時は日本の屈辱的な書面にサインしたペンなんて、と思っていました」と振り返る。

戦後42年。調印当時の事情を直接知る関係者も少なくなった。その一人でもある竹光さんは「日本は最近、かつてのように世界の憎まれ者になってきた。独善主義に陥らず、国際的に協調していくことが大切です」と警告する。
竹光さんは、文字通り歴史の1ページを記したこの万年筆を、重光外相の遺品を展示している安岐町の「山渓偉人館」に寄贈したいという。
===

この記事の内容は、それまで私が支持していた説と一致するものだった。しかし…!

国会図書館で閲覧した資料は、その新聞記事のコピーの余白に、重光蔵氏の手書きメモがついているものである。内容を読もうとすると、これが難しい。病院で書かれた文章と記載されているので、おそらく病床で書かれた文章だと思われるが、私には読めない箇所が多いのである。
また、別紙の記載にかなりの個人名も登場する。
内容を自分なりに要約すると以下のとおりである。

「記事の内容は重光葵の性格を全く感じ取れないものであり、また、降伏文書調印式への道中は当時とても危険視されたものであるので "秘書" が同行できるようなものではなかったはず。
"秘書官" の万年筆を借りたというのがもし事実であるならば、それはK氏やO氏らの準備したものであるはずであり、また、葵氏はこの万年筆のことを蔵氏に話したことは全くない。
1932年の上海停戦協定の際の署名は、葵の生死を分かつ床上のものであり(注:重光葵はこの調印式の直前、朝鮮独立運動家の爆撃に遭い重傷を負い、調印直後に右脚の切断手術を受けている)枕元にほとんど24時間常座していたはずなので、その時の万年筆は書記官のものでも相手側のものでもなかったのである。」
また、前述の「山渓偉人館」に寄贈するかもしれないという万年筆の管理に関しても、ひとこと言及しているが、その後どうなったかは定かではない。

万年筆の種類によって歴史が変わるわけでも何でもないのだが、やはり万年筆愛好者としては気になってしまうエピソード。
調印に使ったのが、いわゆる "仏壇" ではなく、黄色い軸とかセルロイドキンギョとかだったら分かりやすかったのに…。



00:00 | Le Stylo | - | - | |
2012.11.26 Monday

万年筆覚え書き[1]

今日は、日本ペンクラブが制定した "ペンの日" なので、懸案だった「重光葵が降伏文書のサインに使った万年筆」に関する覚え書き。

駐ソ、駐英、駐華大使を経て、東條、小磯、東国邇宮内閣の外相を歴任、ミズーリ艦上で首席全権として降伏文書に調印するなど、動乱の昭和を生きた重光葵は、今年で没後55年を迎える。
彼はふだん、Parkerを愛用していたらしい。そのため、降伏文書にサインした万年筆は Parker Vacumaticである、などという話がまことしやかに書かれているのをよく見かける。
(Parker Vacumaticは1940年に製造終了。1941年の Parker51へとつながっていく。)
一方、重光氏が「私の万年筆は高級なんだ。降伏文書などという屈辱的なものに愛用の高級な Parkerなど使えるかっ」と、わざとボロっちい万年筆を使ってサインしたという説も、少ないながらも見かける。
また、彼の秘書官であった竹光秀正に万年筆を借りてサインしたという説もある。

私見では、やはり重光氏は愛用のペンは使わなかったのではないかと思う。
"願はくば 御国の末の 栄行き 吾名さげすむ 人の多きを"
などと詠む人物が、自分に馴染んだ愛用のペンを使う気がしないからである。

重光氏とともにサインした、"無言の将軍" こと梅津美治郎参謀総長は、持参した万年筆が不調であったため、副官(も誰なのだろうか…)の万年筆を借りて署名したとある。(本題からそれるが、重光氏も梅津氏も大分県出身という共通点がある。)
やはりそのペンも Parker Vacumatic であるという説をよく見かけるけれども、本当だろうか。

なお、連合国最高司令官のマッカーサー元帥はこのとき、Parker Big Red を使っている。
余談であるが、1992年のブッシュ・エリツィン両大統領の軍縮予備条約の署名にも、この Big Red が使われた。


下記のサイト
http://rnavi.ndl.go.jp/kensei/tmp/index_shigemitsumamoru.pdf
1628 によると、
" 重光葵が降伏文書調印時に使用した万年筆についての新聞記事(1987/7/8)の内容に関する
重光蔵の反論メモ、余白に「伊串」が外務省に事実を照会した際の追記(1997/2/6) "
などという記事も。

過去の新聞記事を図書館で調べるところからスタートするのが良いのかもしれない。

5年前に開催された、"重光葵とその時代" という特別展には、万年筆の展示はなかった。
文房具では、インク壺や竹製の筆入れやペーパーナイフは展示されていたけれど。

ところで、降伏文書の紙は、宮城県特産の白石和紙だったらしい。
マッカーサーが「紙は1000年もつそうだ。この条約も1000年もつように。」と述べたという。

さて、ここまで書いて本文を推敲してみると…
とにかく分からないことだらけなので、「らしい」「という」「だろうか」という文章の多いことと言ったら…(汗)

重光葵とその時代特別展チラシ拡大→重光葵とその時代特別展チラシ拡大図1拡大→重光葵とその時代特別展チラシ拡大図2
さすがにこの写真からは分からない。

※2013/10/01追記
この記事の後日譚を、こちら→万年筆覚え書き[2] に掲載しました。

00:00 | Le Stylo | - | - | |
2012.08.04 Saturday

Pilot 78G Double Broad Stub Nib 〜本番編

本番直前のステージ
ついにやってきた、本番当日。
Pilot 78G Double Broad Stub Nib
ペダル記号などを書き込むのに使用した、Pilot 78G Double Broad Stub Nib。
プラチナのカーボンインク Rose Red色を使用して、リハーサル会場にて譜面への書き込みの見え方を検証。
やはりとても見やすかった。
そこで、今回は本番でも同様に見やすいかどうかをチェック。

ホールの楽屋にある照明
楽屋には、このような照明が設置されているので、まずはこちらで確認。
青色照明下でのローズレッド
↑青いライトにかざすと、問題なく見える。

赤い照明下でのローズレッドインク
↑赤いライトだと…見えない! 当然ですが。

黄色照明下でのローズレッドインク
↑黄色いライトだと…やはり見えづらい。

赤青黄照明下でのローズレッド
↑では、赤青黄色合同ならば…まあまあ、だけど、やはり厳しいかも。

前置きが長くなりましたが、ステージでの見え方は…↓
ステージ上にて
このとおり! やはり見やすさが照明…ではなく、証明されました。

オペラその他、赤い照明も使う演奏会の場合は、ローズレッド色ではなく、何か別の色を使う必要があります。
(でも、赤や青の照明を使ってしまうと、C弦やF弦も見えづらくなってしまうから、そもそもNGではないかと。)

2012.07.28 Saturday

Pilot 78G Double Broad Stub Nib

オケ練習風景
1年ぶりのオーケストラ復帰。やはり、ハープは面白い!

譜面への書き込み
譜面への、ペダル記号の書き込みは、Pilot 78G Double Broad Stub Nib を使用。
太/細 両方の線を1本で書き分けられるので重宝しています。
♯や♭などの記号も、これまでボールペンで書いてきたものとは段違いで、とにかく見やすい。

インクは、プラチナのカーボンインク Rose Red を使用。書いてもすぐ乾くし、水に濡れてもにじまない。
色はそこそこインパクトがあるので、演奏中に譜面、手元、指揮者、(時々、足元)を瞬時に見る場合、譜面の赤がパっと目に飛び込んでくるのはとても心強いです。

本番の日、ステージの照明の下でも、この Rose Red色が飛んでいないかどうか検証するのが、今から楽しみです。

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