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2018.12.23 Sunday

お雇い外国人ポール・セーゲル

1869(明治2)年に来日した、海軍省のドイツ(プロシア)人技術者、ポール・セーゲル(Paul Seger。 Seegerとも)。日本の文献にはセイガイ、セーカ、など、いろいろな表記で書かれている人物のようだが、本当にこれら全てが同一人物を指しているのかどうかは調べきれていない。

Meiji Portraitsのサイトによると、下記の事が書かれている。
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R. Menger の代わりに来日したセーゲルは、横浜居留地163番の Mengerのオフィスで働いた。1871年にGeorg Adolf Greeven が来日したとき、築地居留地14番に Greeven, Seger & Co.を設立した。
1872年、セーゲルは教師として日本政府との雇用契約を締結。1873年には会社を解散して、E.Knipping と彼の前のパートナーG.A.Greeven は彼の同僚となった。
セーゲルは1872年10月1日、6ヶ月間ドイツ語教師として文部省と契約、後に開成学校で力学を教えた。契約は延長され、契約が終了したのは1874年4月30日のことだった。
外国人従業員のリストには、セーカ という記載のものがある。これは P.Seger だと考えられている。この仮定に基づくと、彼は1874年9月10日から1年間、海軍省に造船技師として雇われ、鹿児島で仕事をした。
彼がその後も日本にいたという記録はない。彼はペルーに農場を所有していたが、暴動で撃たれ、悲劇的な最期を遂げたと言われている。
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日本語の文献でセーゲルらしき名前が登場するのは、下記の通り。

■藤永田278年 藤永田造船所編 1967年出版
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I014226795-00

■藤永田278年補遺 永田常次郎 著 2001年出版
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002995787-00

■太政類典第2編第68巻外国交際11外入(明治7)9月10日 (国立公文書館デジタルアーカイブ)
件名: 鹿児島県下製造所ニ於テ孛人セーカ雇入
「海軍省鹿児島県下製造所に於いて諸艦船修復のため外国人セーカを雇入」

海軍省上請
"外国人セーカ右は造船家の者に候 鹿児島県下当省所轄製造所に於いて臨時諸艦船修復のため同所へ差遣し置き度候て此際年限1カ年と相定め給料1カ月200ドルを以て相雇度候至急御許容被成下度此段上請仕候也9月5日"(以下省略)

http://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?XSLT_NAME=frame&NO=54&BID=F0000000000000000415&IS_STYLE=default&IS_TYPE=PDF&LANG=default&ID=M0000000000000845594&act=&GID=&IMG_FLG=&TYPE=AJAX

■東京都「都市紀要4」より 築地居留地31番 ビ・セーゲル
「明治5年7月10日より 独 ビ・セーゲル 海軍省」との記載あり。

「築地にあった洋式造船所の位置図」(明治5〜16年頃)
海軍製鉄所の隣に "セイガイ木下造船所" が存在。

■「日の丸船隊史」より神戸丸(電信丸)の消息
邦人の手で造られた鉄船としては、明治4年佐渡の戎港で新潟税関が外国の設計による鉄船新潟丸(64総頓)を造り、その翌年2月には大阪の川崎新田で興讃丸(121総頓) 同6年には東京築地のセイガイ木下鉄工所で神戸丸(251頓 後に電信丸と改称)ができ、さらに明治14年には阿波の徳島で効鉄丸(108頓)が造られた。

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