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2018.02.12 Monday

「九州演劇」昭和21年7・8月号(その2)

前回の記事で述べたとおり、七代目市川團十郎が博多に来演したのは、1834年(天保5年10月)である。博多の老若男女が江戸大歌舞伎を初めて迎えたのがおそらくこの時であり、時代は岩崎弥太郎や福沢諭吉が生まれる数ヵ月前という頃だ。
薩摩には "爺さん婆さんなご生きやい、米も安なろ世もよかろ、辯天芝居がまたござる…" という民謡があるくらいで、九州の果てでは千両芝居といった歌舞伎を見ることが当時非常に稀なことであったと、佐々木滋寛(ささきじかん)氏(1899-1976 千代町松源寺重職・民俗学研究家)は述べている。

やがて明治時代に入り、交通機関が発達し劇場も新しくなった頃、博多では二代目市川左團次が人気を誇っていた。
彼は1911(明治44)年8月、32歳の時に初めて博多にやってきた。劇場は当時新築後間もなかった東公園の千代の松原の中にあった博多座。(余談だが、この劇場は当時客足が芳しくなく、戦後は占領軍のキャバレーとして復活したという。)
1906(明治39)年9月に二代目左團次を襲名、その3カ月後にフランス、イタリア、ドイツ、イギリス、アメリカを経て翌年帰国した。西欧演劇界で得た新しい知識を日本でも取り入れようとしたが、なかなか受け入れられなかった。しかし松居松葉、山崎紫紅、岡本綺堂などの新戯曲を上演、1909(明治42)年11月には「自由劇場」を旗揚げ、イプセン作 森鴎外訳『ボルクマン』を上演するなど、西洋近代劇の紹介に先鞭をつけた。その後も矢継ぎ早に上演、まさに油の乗った時期に一門を引き連れて博多に乗り込み、新歌舞伎の批判を博多の人々に問うたのである。

博多座では『仮名手本忠臣蔵』の中幕として岡本綺堂『修善寺物語』が演じられた。彼が自分の本領を世に問う野心の狂言だった。
1912(明治45)年7月、彼の一座は再び博多座を訪れた。演目は序幕『だんまり』前狂言『夜討曾我狩場曙』中狂言『引窓』切狂言『慶安太平記』の通しだったが、前回よりはあまり成功しなかった。因みに、この時出演記念として博多座に納めてあった大額には当時の劇場構成員の細目が記されており、佐々木滋寛氏が早稲田演劇博物館に寄贈したという。地方劇場研究の貴重な資料である。これまた余談だが、博多座は当時松原の中にあり、夏は蚊が非常に多く、忠臣蔵で切腹した判官が蚊に刺されて困っていたとの事。

1912(大正元)年、新劇団の地方出演としては破天荒な「自由劇場」の博多上演が行われた。劇場は東中州の明治座で、左團次は長田秀雄『歓楽の鬼』の遠藤博士、山崎紫紅『底倉の湯』の新田義隆、ストリンドべリ作 小山内薫訳『犠牲』の父デュランを演じた。この上演は急遽決定したので衣装や小道具類の手配がとても間に合わなかったにも関わらず、一座の熱演と新劇への期待で大成功を収めた。スウェーデンの巨匠ストリンドベリの名作『犠牲』が博多の人々にどれほどの大きな衝撃を与えたのか。左團次の燃えるような熱意と、博多人の新しいものを受け容れる精神が、地方における新劇の啓蒙に大きく寄与したことは言うまでもない。

その後も左團次は博多を何度も訪れ、その度に新しい歌舞伎をもたらした。
1932(昭和7)年3月に『鳴神』と『皿屋敷』、1936(昭和11)年に『修善寺物語』と『鳥辺山心中』、1938(昭和13)年には『名君行状記』『箱根仇討』などを演じた。とくに『名君行状記』の池田輝政は「阪東壽三の青地善左衛門を向こうに回して息もつかせぬ面白さであった」と佐々木滋寛氏は述懐している。
1938(昭和13)年6月には『先代萩』『慶安太平記』『尾上伊太八』などを出した。
1939(昭和14)年6月に『大杯』『西山物語』などを出したのが博多における左團次の最後の来演となった。この時は水虫に悩まされ活気に乏しかったようだ。翌1940(昭和15)年、61歳でこの世を去るまでに、あらゆる困難を克服して自由劇場を開演、地方劇壇に新しい時代感覚を伝えたことは、彼が1928(昭和3)年、ソ連(ロシア)にて史上初の歌舞伎海外公演を行った功績とともに忘れてはならない。


上記記事の引用元「市川左團次と博多」には旧字や歴史的仮名遣いが多く、文章を読んでまとめるのには結構苦労した。ただ、ネット検索すると東京の歌舞伎の歴史は情報が比較的多く出てくるが、昔の博多の歌舞伎事情などなかなか出てこないので、今回は目から鱗が落ちる思いだった。あと、昔の人って偉大。

23:55 | Fukuoka | - | - | |

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