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2018.07.30 Monday

Emil Wiegand 覚え書き

麒麟麦酒の前身となった、スプリング・バレー・ブルワリーの設立に関与したドイツ人醸造技師エミル・ヴィーガント(Emil Wiegand)に関する覚え書き。
ノルウェー生まれのウィリアム・コープランド (William Copeland 本名はヨハン・マルティニウス・トーレセン Johan Martinius Thoresen 1834-1902)というアメリカ人が、エミル・ヴィーガントというドイツ人とともに、横浜山手のきれいな泉の沸く天沼のほとりにビール醸造所を設立、「スプリング・ヴァレー・ブルワリー(泉の谷醸造所)」と命名した。これが日本最初のビール工場であり、通称、天沼ビールと呼ばれる製品を世に送った。

このヴィーガントという人物、コープランドと比較しても、生年や人となりを示すデータがなかなか見つからない。(そもそも、同姓同名が多すぎる。せめて生年だけでも分かれば絞り込めそうなのだが。)

文献を追ってまとめると、
 ドイツ南部、オーストリアとの国境に近いバイエルン地方(英語読みではババリア)にて出生(生年不明)
→横浜山手46番 ジャパン・ブルワリーの支配人兼醸造技師として米国で契約
→1869(明治2)年ヴィーガント来日。「ジャパン・ブルワリー」(日本で最初のビール製造)創立者G・ローゼンフェルトは技師ヴィーガントを招いて山手46番地で醸造を開始。その後間もなく、会社をL・クラインに委譲。
→ヴィーガント退職
→1870(明治3)年、山手68番に「ヘクト・ブルワリー」設立、J・B・N・ヘクトがヴィーガントの参加を得て営業
→解雇され、再び米国へ渡る(正確な年は不明)
→2年後、来日(正確な年は不明)
→1874(明治7)年「ジャパン・ブルワリー」廃業
→1875(明治8)年「ヘクト・ブルワリー」廃業
1875(明治8)年 ヴィーガントの賃借経営で「ババリア・ブルワリー」開業
→1876(明治9)年 ヴィーガントとコープランド、「スプリング・ヴァレー・ブルワリー」を共同経営。6月16日、広告を出す。
スプリング・ヴァレー・ブルワリーという醸造所はコープランドとヴィーガントの合名による工場であった。ヴィーガントは山手68番のヘフト醸造所に雇われたこともあり、のちにコープランドの醸造所に移り、おそらくは資金面を負担したものと見られている。
→1879(明治12)年、両者は不仲となり、ヴィーガントがアメリカに帰国。夏に米国総領事裁判所に組合解散の申請
→1880(明治13)年解散
→1884(明治17)年、単独経営となったコープランドは営業不振になり、番頭のイートンとの間にも訴訟沙汰が起きて 「スプリング・ヴァレー・ブルワリー」倒産

→1885(明治18)年、トーマス・ブレーク・グラバーの支援を受け、スプリング・バレー・ブルワリーは日本人投資家に売却され、ジャパン・ブルワリーとなる
→1888(明治21)年、ジャパン・ブルワリーは明治屋と一手販売契約を締結し「麒麟ビール」の販売を開始

コープランドは、後に日本人女性と再婚、自宅のビアガーデンを経営しながら、東京の磯貝麦酒醸造所の技術指導を行う。1893年に日本を後にし、グアテマラシティで商売を始めるが上手く行かず、1902年1月には日本に戻り、横浜の石川町に居を構えるが、翌2月には没することになる。コープランド夫妻の墓は横浜外国人墓地に建てられた。
スプリング・バレー・ブルワリーの跡地は横浜市立北方小学校となっている。ジャパン・ブルワリー社の後身である麒麟麦酒社の横浜工場、横浜支社では、コープランドの命日である2月11日と6月、墓前で、最新のビールを供えて、墓前祭が行われているそうである。

とりあえずディレクトリ関係をざっと見てみると
・1861-1874 記述なし
・1875 Bluff Directoryに以下の記述
Yamate#68 Hegt's Brewery
     F.Harryman , C.Priebee , Captain Purvis, R.N.,
Yamate#122 Spring Valley Brewery
Yamate#123 W.Copeland

Yamate#68の項には
N.J.B.NorrdHock Hegt(Absent)
Eyton, J.L.O
Harryman.F
Priebee.C
Thomsen.C
とある。

・1876 Yamate#68にWiegandの名前 "Ue-Gando"の名前
・1877 Yamate#123にWiegandの名前
・1878 Yamate#122 Spring Valley Beer Gardens
Yamate#123 Spring Valley Brewery
W.Copeland
E.Wiegand
C.A.Ronwick
J.L.O.Eyton
・1879 Yamate#123 Spring Valley Brewery
W.Copeland
E.Wiegand
・1880 Yamate#122 E.Wiegand
Yamate#123 W.Copeland
尚、1879年、1880年にはLadies Directory に、Yamate#122 Mrs.Wiegandの記述がある。
相方のコープランドには日本人妻がいたが、ヴィーガントは妻を伴って来日したのか、日本人妻なのかどうかも不明である。

Jeffrey W. Alexanderの著書「Brewed in Japan: The Evolution of the Japanese Beer Industry」でも、Wiegandの情報が少ない事に言及している。 J.D.Eyton がコープランドに宛てた手紙の末尾に「Many thanks for information about Wiegand」との記述があるが、消息はこの文章からは当然読み取れない。

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