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2018.11.11 Sunday

Première guerre mondiale : 100 ans après

第1次世界大戦終結から、今日でちょうど100年。
インスタグラムでも、いろいろな国のミュージシャンたちが戦没者追悼の記事を載せている。
60カ国以上の首脳がパリに集結、仏独首脳がコンピエーニュの森で式典に出席。他にも、ナポレオン1世の末裔(注:末裔と書いてあったが、直系ではなく、弟の曾孫のような気がするが…?)へのインタビューなどが話題になっている。

第1次世界大戦と聞くと、以前訪れたアンヴァリッドの軍事博物館の凄惨な戦場の写真を想起するとともに、なぜかラヴェルの《ピアノ三重奏曲》が耳の奥から聴こえてくる。
志願兵として戦地に赴いたラヴェルがこの曲を完成させたのは、フランスが参戦した1914年。大戦とラヴェルを結びつけるエピソードとしては、戦地に散った彼の知人たちへ捧げられた《クープランの墓》の方がよく知られているが、曲だけ聴いてみるととても戦争に関する曲だとは思えないような温かみを帯びている。個人的には《ピアノ三重奏曲》の、すすり泣きのようなヴァイオリンや呻き声のようなチェロ、淡々として冷たい響きのピアノの方が、より戦争の不条理さを訴えかけてくる曲のようにも思える。


(エマニュエル・ベアールの『愛を弾く女』は戦争の映画ではないけれど、この曲がとてもよく合っているなぁ…)

今の仕事を始めたのがちょうど第一次世界大戦開戦100年の年で、当時、その話題が出た流れで自分の先祖の話になった。
「半分ドイツ人、半分日本人だった彼はWWIが終わって2年足らずで亡くなった。まだ40代だった。彼の墓は日本にあり、苗字も名前も漢字で刻まれている。しかし、その苗字は日本には存在しないもので、外国の苗字を当て字にしたものだったようだ。下の名前は日本人の名前だ。おそらく、大戦中はとくに、敵国の血が流れる彼は差別や偏見と戦ってきたはずで、心労もあり早逝したのではないかと想像している。真実は分からない。ただ、日本人として日本で土に還るのであれば、日本人の苗字を墓碑に刻むこともできたはずなのに(そもそも彼の戸籍名は日本の苗字だ)、わざわざ当て字にしてまでドイツの名を刻んだ事にはどのような意図があったのだろうか。そもそも、彼の親はドイツのどこから来た何者だったのか?」という話をした。
すると、ある人が「まだ日本にいる外国人が今よりもとても少なかった時代の話なので、日本にいた日本人の事よりもむしろ外国人の方が探しやすいはず。インターネットで探せるのでは。」と助言をしてくれた。当時は半信半疑だったが、結局はインターネットで人物を特定できたので、今思えばとても有難い助言だった。そして、今が大戦終結後100年であるということは、大戦は4年続いたのだなと改めて理解するとともに、真実に限りなく近づきつつもはっきりとした接点が見いだせない、まるで双曲線と漸近線のような状況(?)も5年目に突入したのだという現実も身に染みる今日この頃である。

23:55 | français | - | - | |

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