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2019.02.03 Sunday

C.J.Textor

 居留地関連調査も行き詰まり気味だったところ、久々に良い資料に出くわした。
 謎が多く資料も少なかった C.J.テキストル(1816-1891)が優れた化学者であり植物学者であったこと、植物の学名にもその名があること、テキストル商会を設立する以前にも日本に来ていた事、シーボルトの少しばかり理不尽な仕打ちによって苦労していた事、商品としての日本茶を海外に初めて紹介したのは他ならぬテキストルであった事…等々。
 シーボルトの記録はもとより、オランダの史料にその名があったのは盲点だった。
 シーボルトが教えを受けていた、白内障や骨切手術で有名な外科の Cajetan van Textor(1782-1860)教授もテキストル、文豪ゲーテの妻も苗字はテキストル(C.J.Textorと近い血縁ではないそうだ)。ドイツには結構多い苗字らしい。そこを混同したのか「シーボルトの指導教授が日本にきて植物採集を行い、それが植物の名前になった」などというまことしやかな記述があるWebサイトも発見した。ドイツ人は同姓同名が非常に多いので、人物調査にも十分注意しなければ、と改めて思う。
 テキストルの名がつけられたツリフネソウ(学名:Impatiens textori)。インパチェンスの花は、実が成熟すると少し触れただけでも破裂し、種を拡散させてしまう。これにちなんで、ラテン語でインパチェンス《がまんできない》という言葉が付けられた。そこから《私に触らないで》という花言葉にもつながるという説もある。テキストルも自分の事にあまり触れられたくないのか、資料がとても少ない人物の一人である。フランクフルト出身で、ロッテルダム大学で化学と植物学を修めたあと、東インドへ向かっている。彼が設立したテキストル商会の、後期の主要人物はドイツの中でもオランダ寄りの地域出身者が多かったこととも何かつながりがあるのだろうか。

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