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2006.03.01 Wednesday

ラヴェルに関する文献 [1]



ラヴェル その素顔と音楽論 「ラヴェル その素顔と音楽論」
マニュエル・ロザンタール著
マルセル・マルナ編
伊藤制子訳
春秋社 2,500円


著者のマニュエル・ロザンタールは1904年生まれで、ラヴェルの晩年の弟子であり友人であった。
ラヴェルの日常生活から死に至るまでを、実にリアルに描いている。ラヴェルの意外な側面をうかがい知ることのできる、必見の書!

この本のみどころは、文章も多いが、写真もたくさんあること!ラヴェル一家の写真やピアノを弾く姿、水着姿まで!(この時代の水着って…(笑)。
ちなみに、銀座の山野楽器では、この本が売れ筋ベスト4になった事もあるらしい)

この本の名シーン3つ

●その1 「雨の日のシーン」

ラヴェルはプロの作曲家として、常に弟子に対して厳しい態度でのぞむ。ある日、意見の衝突からマニュエルはラヴェルのレッスンの途中で部屋を飛び出し、馬車に飛び乗ってしまう。馬車は出発の時刻を待っていた。マニュエルは思わず泣き出してしまう。そして、雨は激しく降り出した。ふとマニュエルは、馬車の曇ったガラス越しに人影がこちらに向かってくるのを目にする。馬車の乗客だと思って見ているとそれは、雨降りだというのに帽子もかぶらずコートも着ていない、ずぶぬれのラヴェルだった。ラヴェルは「どうしたんだい。先生にさよならも言わずに出て行ってしまうのかい。」マニュエルはわっと泣き出し、すべてが解決してしまうのであった。


●その2「ラヴェルの最期の日」

ラヴェルは長い間、神経の病気に悩まされていた。この病気は現在の医学を以ってしても治すのは困難らしい。危険な兆候が見え隠れしつつも意識はまだ明晰であったのであるが、医師はいちかばちかの危険な脳手術に賭ける事にする。ラヴェルが天才であるがゆえに、このまま彼が病にむしばまれ、すばらしい音楽が作れなくなることは不幸だという、周囲の苦渋の決断だったのである。ラヴェル自身には、心配しないように、単なる検査をするだけだと告げた。しかし、ラヴェルはこう言ったという。「いやだよ、君たちがぼくの首をはねようとしているのは分かっているからね」。そして手術後、容態が悪化し、ラヴェルは声をあげて泣いていたという。その4〜5時間後、この偉大なる天才は神に召されてしまう。ラヴェルには多方面の華やかな取り巻きが多くいた。しかし、死の床に呼び寄せたのは、教養もない短期な家政婦のレヴロ夫人であった。ラヴェルはモンフォールの家でずっと身の回りの世話をしてくれた彼女にとても感謝していたのであろう。ラヴェル亡きあと、彼女はすぐさま尼のようなかっこうをし、家に閉じこもってしまう。そして戦後、彼女もその家で亡くなってしまう。ラヴェルが亡くなった日、「子供と魔法」の演奏会の席には、ひどいショックでやつれきったストラヴィンスキーが座っていた。


●その3 「戦地からの手紙」

大戦中のフランスにおいて、フランスの敵国であったドイツ=オーストリアにまつわるクラシック音楽を排斥しようとする動きが持ち上がった。「フランス音楽を擁護するための国民連合」の言い分はこうだ。「モーツァルトはドイツと関係が深く、シューマンはドイツ人。ヘンデル、メンデルスゾーン、バッハ、ハイドン、ウェーバーもだめ。ワーグナーのことも口に出してはいけない。ベートーヴェンにはこの際、ベルギーに帰化してもらうとしよう。」フランスの作曲家たちは自作の曲が演奏される機会が増える事を期待して、この声明を大歓迎し、ドビュッシーは沈黙を通していた。だが、この連合への参加要請を受けたラヴェルは激怒する。そして戦地から長い手紙を書く。その手紙には、次のような趣旨のことが書かれていた。
「申し訳ないが、この連合の会員になるという名誉に浴することはできない。祖国の勝利を願うことに関しては賛成するし、それゆえに自分は従軍義務もないのに戦地にいる。でも、外国の音楽は記念碑的なものでありわれわれがそこから有益な教えを引き出せるのだ。フランス音楽ばかりを優遇し、くだらないものまで重視するのは惰性に陥る。自分はフランス人としてなすべきことを続けていく。そして、フランス人にふさわしい行動をした人物として人々の記憶に留められる事を願う」。

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