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2018.11.14 Wednesday

Tribunal militaire international pour l'Extrême-Orient :70 ans après

先日WWI終結100年の話を書いたばかりだが、今日はある人が東京裁判終結70年に関する新聞記事を送ってくれた。
文官としては唯一、A級戦犯として裁かれ露と消えた廣田弘毅。福岡県出身で初めて首相となった人物なので、このブログでも以前書いていた事を覚えていてくれていたらしく、とても有難い。
その記事には、廣田氏のお孫さんのコメントが写真入りで掲載されている。容貌がお祖父さんにとてもよく似ておられる。
城山三郎氏の「落日燃ゆ」で描かれた祖父の印象が世間では強かったようで、幼少の頃に学校で理不尽な目に遭ったりはしていなかったという。

絞首刑を宣告された7名は、2つのグループに分かれて、その時を迎えていた。
廣田弘毅は2番目のグループにいた。
ふと、1番目のグループの誰からともなく、万歳三唱をしよう、という話が持ち上がり、その万歳の声は2番目のグループの皆の耳にも届いてきた。
やがて、1番目のグループの刑が執行された。次は2番目のグループの番だ。

教誨師の花山氏に廣田は言った。
「今、漫才をやっていたでしょう?」
花山氏「いえ、そのようなものはやっておりません」

仏間に入り、読経のあと、廣田はまた言った。
「このお経のあとで、漫才をやったのではないか」
花山氏は、ああ、万歳ならやりました。それでは、あなたがたも、ここでどうぞ、と促した。

廣田は「あなた、おやりなさい」と、傍にいた別の者に促し、廣田は万歳には決して加わらなかった。

万歳を叫び、日の丸を押し立てて突き進んで行った先には何があったのか。
この期におよんでも、なお万歳を叫ぶのは、もはや漫才でしかないではないか…
廣田の痛烈な、最後の皮肉であった。

城山三郎「落日燃ゆ」にはこんな一節があったと記憶している。
実際にこのような会話のやりとりが行われたのかどうかは、定かではない。
廣田弘毅は、若い頃は駄洒落を飛ばすことも多く、その親父ギャグあふれる皮肉を散りばめた、数々の句が残されている。
後年は「自分のやってきた仕事が自分の全てであり、何らかの手記や辞世の句、遺言などを残すつもりはない、自然に生きて自然に死ぬまでだ」と、述べ、それは、若い頃から親しんできた、禅や論語のような東洋思想に基づく、彼なりのやり方なのであろう。
ともあれ「漫才」に関しては時々、議論にもなっているようだ。

廣田弘毅の長男の話では「父は一流の男でした。父はそういう冗談を言うような人ではなかった。」との事。
しかし、自分の父親の、家庭の外側での顔というものを理解している息子は、果たしてどれほどいるものなのだろうか。
また、別の文献では、博多弁では「万歳」を訛って「マンザイ」と言うのではないか、という仮説に基づき検証していたが、どうもはっきりしない結論に終わっていたようである。
個人的には、博多弁でそういう訛りがあるかというと、それはちょっと違うような気がする。ただ、どの地方にも年配の人や、鼻にかかったような声を出す人の中には、「バ」が「マ」に聞こえるような発音の人もいる。

別の視点から、花山教誨師と廣田氏との軋轢(というほど大袈裟なものではないにしても)を挙げる研究家もいる。宗教や思想上の考えの違いから、双方が相容れないものを感じていたため、花山氏が廣田氏について語っている部分には、「漫才」の話も含め、事実と異なる部分もあるのではないか、というわけである。こればっかりは、もう今となっては調べる術もない。

結局、謎は謎のままということにするしかないのかもしれない。70年も昔の話である上に、刑場での会話など状況が特殊すぎて、検証できなさそう。
(注: 2006年夏に出版された、小林よしのり著「いわゆるA級戦犯」によれば、廣田弘毅がこんな駄洒落を言うような人間だったならば、東京裁判で「軍が悪い」と証言したはずである、という説を展開している。そう言われてみれば、そうかもしれない。)

ある伝記には、執行に立ち会ったアメリカ人の談話として「廣田はまるで神のようだった。毅然として黙々と死の階段へと赴いた。その姿があまりにも神々しかったのが、今でも忘れられない」ともある。
この話も、本当に事実なのかどうかは不明だが、この手の伝説が作られやすいというのも、廣田弘毅のひとつの特徴のように思えてならない。

本題からは離れてしまうが、疑問がもう一つ。
この理不尽な顛末の直後、刑場からは、大変美しい音楽が流れてきていたと言われている。
この曲はいったい何だったのか、そもそもクラシック曲なのか日本の流行歌なのか、音楽好きとしては非常に興味深いところであるが、どこにもその曲に関する具体的な記述はない。
とても知りたい。大変美しい音楽というのが気になるところ。

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